大学を卒業してから、中米を旅行していた時がありました。ニカラグアに友人が、遊びにおいでよと声をかけてくれたので、何も考えずに彼女に国に行きました。1991年なので、内戦が終わって落ち着いてきたところのニカラグア。到着した時は夜だったので、街の様子は全く分からなかったのですが、夜が明けて、街に出てみるとびっくり。街はボロボロ。ストリートチルドレンらしき子供もいるし、汚れた服を着た人たちが沢山いるし、その辺で寝ている人もいました。スーパーに行っても真っ暗で、痛んだ野菜が少しあるぐらい。街は何とか機能している様子でした。領事館に行って話を聞いてみると、旅行客は全くいないので、勝手にあちこちいかないようにと注意されました。
それでも友人は自分の国を私に見てもらいたかったのでしょう。家族はとても私を歓迎してくれて、お酒をふるまってくれて、料理を作ってくれてました。雨水を溜めて、沸かして、飲むのは少し気になりましたが、大丈夫と自分に言い聞かせて過ごしていると、1週間経った頃に、凄まじい腹痛と吐き気を感じて夜中に目を覚ましました。熱もあるみたいで、息が苦しくて、どうしていいかわからず、トイレに駆け込みました。
次の日もその次の日も、起き上がることが出来なかったのですが、自分の症状を上手く説明できませんでした。食事も全く摂れなくなり、誰かに支えてもらわないと歩けなくなり、立ちくらみがして倒れそうになっていました。何とか説明したら、薬剤師だった友人のお父さんが、病院に連れて行ってくれました。
小さな町医者でした。苦しかったのですが、私が点滴や注射は嫌だというと、じゃあ薬を飲むしかないと言われ、ラムネのような錠剤をくれました。それを水に溶かして飲みなさいと。きっと水にあたって、お腹を壊しているので、しばらく安静にしていたら治るだろう先生が言っていると、友人がスペイン語から英語に通訳をしてくれました。
一人で歩けないほど苦しかったのに、私の気持ちや体のだるさを誰も理解してくれていないと思いました。こんな薬で治るのかと不安になりましたが、英語やスペイン語で説明する能力も気力もなかったので、もう何でもいいと思いました。友人は、美味しい中華料理を食べに行ったら治るよとか、ココナッツジュースを飲んだら治るよと軽く行ってくれましたが、食べることも出来ないと説明したのに、なんでわかってくれないのかと悲しくなりました。不安を通り越して、悲しかったのを覚えています。
若かったから何とか回復しました。ある朝起きたら、お腹がすいていました。友人のお母さんが、コンソメ味のスープを出してくれたので、私が一口食べると、笑顔でとても喜んでくれました。やっと食べてくれたと。私のしんどい思いは何も伝わっていないと思っていたけれど、そんなことはありませんでした。みんな心配して暮れていたことに気が付きました。